双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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「大掃除」を「ゆる大掃除」に換えて付加価値をつけてみる。

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、捨ててはならないものについてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

「年末」という言葉

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「師走」「年末」という言葉を聞くと、どこかソワソワして、忙しなく感じてしまうことはありませんか?

2017年も残り約2週間、少しずつ年越しの準備を始めている方も多いかもしれません。

正月用品などのような、新年を真新しい気持ちで迎えるためには欠かせないものの訴求も、CMや折り込み広告などで頻繁に目にするようになりました。

 

新しい年を迎えるために、何かを準備することも大事ですが、どうしても新年には持ち越したくないものを何とかすることも大事です。

具体的にいえば、それは、家のなかの普段なかなかできないところを掃除したり、日頃あまりメンテナンスできていない道具を手入れしたりするようなことです。

家のなかの掃除機がけや拭き掃除などは、普段できているけれど、忙しいあまり細かいところまでは手がつけられない、という方も多いでしょう。

重たい腰が持ち上がらない、という方もいるかもしれません。

 

年末年始に長期休暇が取れるため、その期間中を利用して大掃除をする、ということも十分考えられますが、「年末」という言葉が持つ雰囲気がどこか私たちをソワソワさせて、いてもたってもいられなくなって、「大掃除をしておかないと」と思い、行動に移すことも考えられます。

「今年のうちに何とかしたい」「来年には持ち越したくない」ということで重い腰が持ち上がる「年末」という言葉が持つイメージには、私たちが思っている以上の力を持っているのかもしれません。

 

大掃除から派生しやすいもの

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普段できないところを掃除していると、当然普段あまり目にしないものを見かけます。

例えば、クローゼット押入れの奥など。

日ごろ掃除のたびに、そこにある「もの」を出して掃除機がけをして、水拭きをして戻す、ということができていればいいけれど、なかなかそこまではできないものです。

 

クローゼットや押入れのものを引っ張り出してみると、「こんなものを持っていたのか」「あの頃はああだった、こうだった」というように、新しくもあり懐かしくもある世界に浸ってしまうことがあります

特に、思い出として保管している写真や手紙、旅先でのもののような、いつも見ないけれど、捨てるに捨てられないものを見始めると、時間を忘れてついつい見いってしまいます。

本来の目的である「掃除をする時間」が、いつしか「思い出に浸る時間」になってしまっているのです。

 

あまりに長時間に及ぶと、本来の目的を見失ってしまい、掃除自体が疎かになってしまうため注意が必要ですが、こうした時間を持つこともときには必要な気がします

 

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思い出は明日へのエネルギー

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「思い出に浸る」ということは、過去のことにしか目がいっていないという点では、あまり好意的に捉えない方もいるかもしれませんが、必ずしもそればかりではないような気がします。

確かに、いつまでも過去ばかりを見ていては「現在」「未来」が見えなくなってしまいます。

けれど、過去を振り返り、過去を知ることで原点回帰できたり、当時気づけなかったことに気づくこともあります

そして、日常的にはあまり見ないものであるがゆえ、いつの間にか時間を忘れてしまうのかもしれません。

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し、何ごともほどほどに楽しむことが肝要です。

「どうしても捨てられないもの」には、私たちの人間性を構築する上で不可欠な要素があり、それがなければ「現在の自分」というものがない、と考えれば処分してしまうのは非常にもったいないことのように感じます。

言わずもがな写真や手紙などは、一度処分をしてしまうと、後日もう一度見ようと思っても、もう二度と見られません。

また、写真や手紙だけでなく、例え同じものが売られていたとしても、その当時の感情や「もの」に詰まった思い出は戻ってきません。

 

その「もの」以上の価値があり、思い出や思い入れなどの付加価値があると感じれば、必要なもの。

どんなに周りが「不要なもの」と言おうが、自分にとって価値のあるものだと感じられれば、それは十分必要なものなのです。

 

ときに過去を思い出すことで、前を向いて進もうとするエネルギーにもなるような気もします。

「掃除をする」という本来の目的を逸れてしまうことは、一見ムダな時間を過ごしているように見えますが、それは案外大切な時間のようにも思えます。

先に挙げた、大切なものは案外、副産物の中に隠れているのかもしれない。という記事のなかでも言及していますが、「主産物」がなければ「副産物」は生まれません。

つまり、「掃除をする」という行動がなければ「思い出に浸る」という行為には至らない、ということです。

これは、頻繁にみるものではないからこそ起こることなのかもしれません。

 

「捨てるに捨てられないもの」、特に「思い出に浸ってしまうもの」というものは、「捨てるに捨てられないもの」ではなく「捨ててはならないもの」なのです。

それはこの先、目にして手にするたびに、力を与えてくれるものなのだと思います。

どうしても前に進めず立ちすくんでしまったとき、少しばかり思い出に浸ってみることで、前を向く力を与えてくれ、そっと背中を押してくれるような気がします。

 

わざわざ引っ張り出さなくても、大掃除のときなどに偶然目にした「捨ててはならないもの」が、いざというときのあなたの支えになってくれる可能性もゼロではありません。

そう考えると、つい後回しにして、「作業」のように進めてしまいがちな大掃除からも、新たな気づきや発見があるかもしれません。

それは、知らず知らずのうちに、時間をかけて自分自身がゆっくりと成長していることを意味しているのかもしれません。

 

何かに気づき、発見する。

それだけで、自分にとって十分な価値があるものなのです。

効率的な大掃除もいいけれど、ときに寄り道したり一息ついてみたり、のんびりと進めていく大掃除も、時間に追われる現代人にとってはとても有意義で贅沢なもののように感じます。

 

 

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