双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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「年末はいつまで仕事ですか?」に戸惑う者からのメッセージ。

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、質問と偽装についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

ある美容室にて

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「年末はいつまでお仕事ですか?」と尋ねられることは、この時期とても多い。

そのような質問を受けるたびに、私はいつもドキッとしてしまう。

けれど、そうした感情を表に出すことは決してなく、毎回ぎこちないつくり笑顔でやり過ごしている。

 

 

私が通う美容室には、古くからお世話になっている美容師さんがいて、その付き合いはかれこれ14年にもなる。

もう他の美容師さんに髪を切ってもらうことは考えられない。

それは、技術はもちろんだが、「相性」に依るところが大きいのかもしれない。

長年お世話になっていると、近況を話したり、お互いにプライベートなことを話したりするようになる。

自身のプライベートを話すことがあまり得意ではない私でも、気を遣わずに話せる数少ない人のひとりだ。

私はそれくらいその美容師さんのことを信頼しているし、何でも話せる、と認識している。

 

 

しかし、例え付き合いが長く、「何でも話せる」と思っていても、「年末はいつまで仕事か」という類いの質問をされると、かなり戸惑ってしまう

そして、息苦しさを感じながらも平静を装って、「働いている体」で返答する。

まだはっきりしていないということにしたり、公官庁の仕事納めにあたる「御用納」までということにしたり、年明けまで休めないということにしたりする。

 

 

美容師さんは、悪意をもって私に質問をしている訳では決してなく、それはむしろ当たり障りのない「定番」な質問なのだろう。

仮に、年明けまで休日がなかったとしても、そこから話を広げることは十分にできる

答えがどうあれ、この質問が会話の糸口になる公算は大きい。

この質問は当たり障りなく、働いている人になら対して広く使える「万能型」なのかもしれない。

 

 

多くの人に使えるこの「定番」の質問を受けるたびに、私は複雑な感情を抱く。

これまでの私の経験上、仕事をしているときは「年末はいつまで仕事か」と尋ねられても特に何も感じなかった。

けれど、いざ仕事をしていない(できない)という状況に身を置くと、晴天の空が突如曇天してしまったかのような感情に切り替わってしまう。

それはきっと、「働いていない」という負い目罪悪感があるからだろう。

 

 

その他にも、相手の「年末はいつまで仕事か」という質問に対して、正直に「今は働いていない」という返答をしたところで、会話が弾む見込みはほとんどないし、何よりも相手に気を遣わせてしまいかねない

また、質問に対する相手の狙いや、想定していた返答からは、おそらく大きく外れてしまうだろう。

そのため、それを外れないように敢えて仕事をしていることにしているのだ。

その方が会話も弾むし、関係性もきっと保たれる。

 

 

これを社交辞令と言うべきか、大人の対応というべきかわからないけれど、こうして「働いている自分」を演じることは、どこか息苦しく、嘘をついている自分自身に溜め息が出る。

 

 

99%と1%

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プライベートの場面で初対面の人と会話をする際でも、仕事の話になることがよくある。

既出の美容師さんと同じように、会話の糸口として「お仕事は?」と質問するのだ。

きっと、質問者は誰にとっても当たり障りのないものという認識で、悪意は微塵もないだろう。

繰り返しになるが、これは「万能型の質問」なのだ。

しかし、働いていないということで、どこか後ろめたく感じてしまう

「仕事は何か?」という万能型の質問に対して、「していない」と正直に答える。

「働いていない」と答えると、やはりどう考えても以降の会話は広がらないし、気まずくなってしまう。

それだけならまだよいが、憐れみの目を向けられたり蔑まれたりすることもある。

そうすれば、必然的に無難な返事をするしかない。

仕事をしている体を装うのだ。

 

 

万能型の質問に、型通りの返事をする。

しかし内心では、「プライベートなのに、なぜ仕事の話をしたがるのか」「なぜ仕事という人間性以外のところばかりを見ようとするのか」などと、作り笑顔の裏で唾を吐く。

万能型であるため、99%に通用する質問だ。

仕事の話題を取り上げる気持ちもよくわかる。

しかし、いくら万能型と言えど、必ず例外はある。

仕事の話題を振られて、あまりよい気持ちにならない残りの1%の存在もできれば知ってほしい。

 

 

円滑な会話のために装う

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経済的な安定は社会的信用に直結している。

裏を返せば、経済的に安定していなければ、社会的な信用を得るのは難しい

継続的な労働によって安定した収入を得、それが社会的信用に繋がっていく。

つまり「労働」は、社会的信用を得る活動でもあるのだ。

 

 

それだから余計に「働いていない」ということに後ろめたさ負い目のようなものを感じてしまう。

もちろん社会的信用が得られないことばかりが理由ではない。

多くの人々が働き、刻一刻と変化する世の中において、自分は何も貢献できていないというものもある。

いくら療養の身で、治療に専念することが自らの「仕事」だと思ってはいても、「働いていない」という事実に変わりはなく、そのことで「世間に申し訳ない」という気持ちになってしまう。

 

 

働いている人はみんながみんな健康という訳ではなく、心や身体の不調を抱えながら仕事をしている人も多いだろう。

常に自分のなかで上手くバランスをとり続けることは、そう簡単にできることではない。

 

 

例え心や身体が不調でも、働いているという事実は「健康そのもの」の人と同等で、「お仕事は?」と尋ねられても全く気に留めないかもしれない。

この場合、万能型の質問に対して99%の側なのだ。

 

 

一方、働いていない場合は1%に回る。

その場合、「働いていない」ということに後ろめたさ負い目を感じている。

しかしながら、相手に気まずい思いをさせないように、相手に失礼のないように、敢えて「仕事をしている体」を装っている状態なのだ。

そして、装っていること、つまり偽っていることに罪悪感を感じる

 

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www.nao-mizutama.com

 

「全く装わなくてもよい」ということが、「負」の感情を取り払ってくれることに繋がるとは思わない。

しかし、精神疾患を罹患していることによって腫れ物に触られるような、また、触れることがさもタブーになっているかのような、どこか窮屈もどかしい感情からは多少は解放されるような気がする。

そのためには、今なお残る精神疾患全体への誤解を解いていく必要がある。

 

 

全ての人から正しい理解を得ることは難しいが、それに限りなく近づけることはできるはずだ。

私にどのようなことができるのかわからないし、立派なことができるとも思わない。

 

 

「仕事」のような、ほとんどの人に使えて、一見当たり障りのないような万能型の質問にも必ず例外はある

こうした質問自体を避けることは難しいかもしれない。

ただ、傷つくことを恐れて仕事をしている体を装い、愛想笑いをしながら、円滑なコミュニケーションを取ろうとしている「1%」の人がいることを、せめて知っておいてほしい。

 

 

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